第3話: 階段

しばらくのあいだ、俺は深夜の帰宅を階段で済ませていた。九階から一階まで、暗い非常階段を下りるのは骨が折れたが、あのエレベーターに乗るよりはましだった。

ある夜、同僚の田口が残業に付き合ってくれた。俺はさりげなく、あのエレベーターの話をしてみた。深夜になると十三のボタンが現れる、と。

田口は笑い飛ばした。「疲れてんだよ、お前。このビル、確かに縁起でもない噂はあるけどな」
「噂?」
「昔、まだ工事中だったころ、作業員が転落死したとか。それで十三階の工事を中止して、十二階建てに変更したって話。まあ、都市伝説だろ」

俺は黙り込んだ。十三階の工事を中止した——それが本当なら、あの階は「作りかけのまま封じられた階」ということになる。

「試しに乗ってみようぜ、そのエレベーター」田口は面白がって言った。「十三のボタン、俺も見てみたい」

止める間もなく、田口はエレベーターホールへ向かった。俺も仕方なくついていく。時刻は午前一時前。

かごが来て、二人で乗り込む。操作盤を見て、田口が「お」と声を漏らした。「マジであるじゃん、13」

見えているのは、俺だけじゃなかった。田口にも、はっきり見えている。俺はほっとしたような、それでいて余計に恐ろしいような気持ちになった。

田口はにやりと笑って、その「13」に手を伸ばした。

「やめろ」俺は思わず彼の腕をつかんだ。「押すな」

田口は俺の必死の形相に驚いたのか、手を引っ込めた。かごは何事もなく一階に着いた。

だがその翌週から、田口は会社に来なくなった。体調不良、とだけ聞かされて。連絡はつかなかった。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

上部へスクロール